死ぬこと、生きること(第13号)-聖書を読んで、イエス様の御言葉を悟る |藤沢市のかつや心療内科クリニックは医師によるがん患者さんのこころを専門にした心療内科です

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死ぬこと、生きること(第13号)-聖書を読んで、イエス様の御言葉を悟る

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死ぬこと、生きること(第13号)-聖書を読んで、イエス様の御言葉を悟る2025.07.28

 前回のがん相談コラム『死ぬこと、生きること(第12号)-恐れから解放される』を読んで頂けましたか。聖書には、「恐れるな」という御言葉に満ちています。具体的に「恐れるな」という言葉ではなくても、恐れなくていいのだと思わせてくれる御言葉はたくさんあります。

 まずは、聖書を読み始めて頂きたいのですが、聖書を読んで、イエス様の御言葉を悟ることは、決して簡単ではありません。御言葉を正しく聞いて、解き明かし、《神の国》の福音を伝え続けてくれる人が必要なのです。では、どうしたら良いのでしょうか。いくつかのことを述べますので、皆さんの置かれた場所、病状や体力に応じて取り組んでみて下さい。

 今回は、藤沢市のかつや心療内科クリニックから『死ぬこと、生きること(第13号)-聖書を読んで、イエス様の御言葉を悟る』と題してがん相談コラムをお届けします。

信仰は、キリストの言葉を聞くことによって始まる

 イエス様は言われます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28) この御言葉は、全ての人に対する神様のお招きなのです。この御言葉を読むと、私は、あの徴税人ザアカイと罪深い女を思い出します(『死ぬこと、生きること(第10号)-救いは恵み:人間の努力やがんばりは、一切関係ない』)。彼らは、「少しでもイエス様の近くに」という強烈な思いに導かれてイエス様の御許に来ました。そして、イエス様が、彼らの罪という重荷を背負って下さり、休みが与えられたのです。

 だから、私たちもイエス様の御許に行けば良いのです。そして、イエス様の御許に留まり続けるのです。そうすれば、休みが与えられるのです。しかし、極めて多くの人々は、「こんな荒唐無稽なこと、信じられるわけないだろう」と言い、この御言葉を素通りするのです。聖書に「この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。/目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために」(イザヤ6:10)とある通りです。「悔い改めていやされることのないために」とは、「イエス様の御許に行き、恐れから解放され、癒やされることのないために」ということです。その行き着く先は、永遠の滅びです(『死ぬこと、生きること(第11号)-十字架の言葉は、救われる者には神の力』。

 一方、非常に稀なことなのですが、「実感もないし、よくわからないけれど、ちょっとこの御言葉が気になる。できることなら、病気のことを忘れて、重荷をおろして休めるものなら休みたい」と思う方がおられます。もし、あなたがこのように思われるのなら、この思いを大切にして頂きたいのです。あなたは、実に幸いな人なのです。既に神様は、あなたに触れて下さっています。そよ風があなたの頬を撫でるくらいのものかもしれませんが、その微かな感覚を忘れることなく、御言葉を求め続けて頂きたいのです。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)とありますが、聖書を読んで、イエス様の御言葉に聞くことから始めて頂きたいと思います。

聖書を読む

 先ずは、聖書を購入し、福音書からお読みになり、イエス様の御言葉に触れて下さい。聖書を読む時は、御言葉が自分に何を語りかけているのかを常に意識し、求める気持ちをもって読むことが非常に大切なのです。イエス様は言われます。「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(ルカ11:9-10) この御言葉は、イエス様のあなたに対する約束です。祈りながら、真剣に求めれば、神様は、あなたに必要なものを必ず与えて下さいます。

 更に申し上げますと、聖書を読むとき、ご自分の知識、経験、常識にとらわれますと、御言葉はわからないと思います。一旦、あなたの知識や経験や常識を「よいしょ」と脇に置いて下さい。【自分】(*)を脇に置くのです。聖書の御言葉の中にあなたの身を置くようにして、あなたの全生活と全存在を御言葉で潤すようなイメージでお読みください。今は、あなたの心は渇いているかもしれませんが、あなたに触れるそよ風のあの感覚を覚えているなら、やがて、あなたの心に聖霊による潤いが与えられるでしょう。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(ヨハネ福音書16:13)とある通りです。「真理の霊」とは、聖霊のことです。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されている」(ルカ8:10) このイエス様の御言葉があなたに実現しますように。

*【自分】は、当がん相談コラムにおいて、重要な言葉です。『死ぬこと、生きること(第7号)-根源的な罪:神様に背く【自分】』や『死ぬこと、生きること(第9号)-死んでも生きる:【自分】は死に、新しく創造される』を併せてお読み下さい。

教会に通う

 毎週日曜日に教会に通うことは非常に重要です。牧師先生が、聖書の解き明かしをして下さいます。あなたに合う教会を粘り強く探して下さい。

 ご存じのように、キリスト教会には、プロテスタントとカトリックがあります。両者の違いは、皆さんが世界史で習われた通りです。キーワードは、宗教改革、です。それから、プロテスタントには多くの教派がありますが、その説明は長くなりますので、本稿では取り上げません。

説教集を読む

 説教集(御言葉の解き明かしをしている本)を読むのも一つの方法です。説教集は、たくさん出版されていますが、私は、限られたものだけを読んでいます。クリニックには、何冊かの説教集や資料がありますので、あなたに合ったものをご紹介します。

かつや心療内科クリニックに相談する

 当クリニックに相談に御出で下さい。前号でも申し上げましたが、緩和医療の一環として、信仰上の相談(キリスト教/プロテスタント)もお受けします。

 『死ぬこと、生きること(第4号)』では、「かつや心療内科クリニックの原点は、教会であり、私が、洗礼によってイエス様と一つにされたことなのです」と申し上げました。

 ハイデルベルク信仰問答の問1には、「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」とあります。その答は、「わたしがわたし自身のものではなく、/体も魂も、生きるにも死ぬにも/わたしの真実な救い主/イエス・キリストのものであることです。」何という慰めかと思います。私は、私自身のものではなく、イエス様のもの。イエス様のものとは、イエス様と一つにされているということです。ここに、私の生きる意味があります。

 問1の答の続きを引用します。「この方は御自分の尊い血をもって/わたしのすべての罪を完全に償い、/悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。/また、天にいますわたしの父の御旨でなければ/髪の毛一本も落ちることができないほどに、/わたしを守っていてくださいます。/実に万事がわたしの救いのために働くのです。/そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、/今から後この方のために生きることを心から喜び/またそれにふさわしくなるように、/整えてくださるのです。」この答えを聞くと、私は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」というマルコによる福音書の冒頭の御言葉を大きな声で言いたくなるのです。

《神の国:神様のご支配》と《この世の支配》

 前号には、《この世》という言葉が出てきました。《この世》と対になる言葉は《神の国》です。両者は、今後のがん相談コラム『死ぬこと、生きること』のキーワードですので、少しご説明します。

 《神の国》とは、神様のご支配のことです。神様の愛と恵みのご支配です。《神の国》と激しく対立しているのは、《この世の支配》です。《この世》は、世間と言ってもよいかもしれません。前号では「《この世》に、恐れに対する癒やしはない」と申し上げました。でも、心配しないで下さい。イエス様は、既に、《この世》に勝たれている!のですから。イエス様は言われます。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ福音書16:33)とある通りです。御言葉の「世」は《この世》です。

「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。」(マルコ1:14,15) 「神の国は近づいた」というのは、《神の国》は、もう来ているということです。イエス様が「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:21)と言われる通りです。

 そして、イエス様が、再び来られるとき、《この世》は終り、《神の国》が完成するのです。その時のことを聖書は次のように描いています。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:3-4) 

 《神の国》の癒やしに関しては、今後の『死ぬこと、生きること』で、少しずつ、詳しくお話していきます。

神様がいちばんで、人間は二の次

 前号で述べた通り、本コラムのテーマは、『恐れから解放される』です。しかし、恐れからの解放は、目的ではなく、イエス様と一つにされたことの結果に過ぎません。これは、たいへん重要なことです。神様の栄光やご計画がいちばん大事なのです。人間は、神様の栄光のため、ご計画のために用いて頂く僕に過ぎません。

 でも、イエス様は、そのような人間に対して「友」と呼んで、大切にして下さるのです。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」(ヨハネ福音書15:15)とある通りです。いや、それどころか、イエス様は、次のように言われるのです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ福音書15:13) イエス様は、私たちの罪と死を、私たちの全てを負われ、十字架上で死に、復活されたのです。そのことにより、人間の罪は赦され、イエス様と一つにされ、神の子として、神様と共に生きる道を開いて下さったのです。ここに神様の愛があるのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ福音書3:16) 神様は、あなたが、恐れだけではなく、《この世》の全てのものから解放されて、神様と共に自由に、そして、平和の中に生きることを熱望しておられます。イエス様は言われます。「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ福音書20:26)

まとめ:
聖書を読んで、イエス様の御言葉を悟る|かつや心療内科クリニック(医師によるがんのよろず相談)

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。/たじろぐな、わたしはあなたの神。/勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。/見よ、あなたに対して怒りを燃やす者は皆/恥を受け、辱められ/争う者は滅ぼされ、無に等しくなる。」(イザヤ41:10-11)

■私たちは、《この世》に生きています。《この世》には、恐れが満ちており、《この世》には、恐れの癒やしはありません。ですから、《神の国》の秘密を悟ることが許されている人は、本当に幸いなのです。

■次回は、死の恐れ、をテーマにして、『死ぬこと、生きること(第14号)-がん終末期鎮静にまつわるご家族・ご遺族の後悔と罪悪感』と題してがん相談コラムをお届けします。鎮静について、後悔や罪悪感を抱いておられるご家族やご遺族は少なくないです。皆さんの参考になれば幸いです。

概要 概要

院長 吉田勝也
標榜科 がん心療内科
資格 元日本緩和医療学会
緩和医療認定医
厚生労働省 精神保健指定医
日本医師会認定 産業医
住所 神奈川県藤沢市南藤沢17-14
ユニバーサル南藤沢タワー403
申込用
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アドレス
gan-soudan@kzc.biglobe.ne.jp
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