死ぬこと、生きること(第16号)-私たちは、聖霊・救い・教会の時代を生きている |藤沢市のかつや心療内科クリニックは医師によるがん患者さんのこころを専門にした心療内科です

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死ぬこと、生きること(第16号)-私たちは、聖霊・救い・教会の時代を生きている

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死ぬこと、生きること(第16号)-私たちは、聖霊・救い・教会の時代を生きている2026.01.01

世の終わりまで、いつもともにいて下さるイエス様

 主の御年、2026年、おめでとうございます。BC(Before Christ)を経て、イエス様が、永遠の隔たりを超えて、私たちが生きる《この世》に御出でになりました。皆さん、クリスマスをお祝いしたばかりですよね。そして、世界は、イエス様と共に2026年間、聖霊・救い・地上の教会の時代を歩んでいます。正に、AD(ラテン語でAnno Domini:主の御年)です。ADは、一般的には「西暦」と言われますが、かなりの意訳です。

 救い主イエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と言われました。イエス様を信じる人は、どんな時代にあっても、どのような時であっても、どこにいても、主が共にいて下さる希望ある人生を歩むことができます。

 やがて、終りが来ます。イエス様の再臨、神の国と救いの完成の時です。同時に、聖霊・救い・地上の教会の時代は終りを告げます。  今回は、『私たちは、聖霊・救い・教会の時代を生きている』と題して、藤沢市にあるかつや心療内科クリニックからがん相談コラムをお届けします。新年にあたり、聖霊、教会、聖書を読むことに関して、お話ししたいと思います。本号の内容は、今後の『死ぬこと、生きること』で、何回かに分けて詳しく取り上げる予定です。

本号から、聖書の御言葉は、新改訳2017からの引用です

 なお、本号から、聖書の御言葉は、特に記載が無い限り、新改訳2017からの引用です。新改訳には、次のような特長があります。これらのことはたいへん重要です。
■聖書を『誤りなき神の御言葉』と告白する人々が、翻訳しました。
■ヘブル語やギリシャ語本文の修正を避け、意訳ではなく、原典に忠実に翻訳されています。

洗礼を受けたけれど、何も変わらないと言う皆さん、聖霊を受けておられますか?

 洗礼を受けたけれど、何もかわらないなあ、と思われている人は、少なくないと思います。何故、何も変わらないのでしょうか?

 お尋ねします。洗礼を受けたけれど、何も変わらないと言われる皆さん、聖霊を受けておられますか? 三位一体の神様。父・子・聖霊。皆さん、ご存じの通りです。神様が救いを計画され、イエス様が救いを実行され、聖霊なる神様が、救いを完成させて下さるのです。

聖霊を冒瀆する者は赦されない

 イエス様は、聖霊に関して、次のように言われます。「人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されません。」(ルカ12:10) 原典のギリシャ語では、「聖霊に敵対して冒瀆する」となっています。聖霊を信じていなければ敵対することになりますよね。聖霊なる神様は、救いを完成させて下さるお方です。洗礼を受けていても、聖霊に関心のない方が少なからずおられます。聖霊に関する説教が、ほとんどなされない教会もあると聞いています。

 イエス様は、「この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。」(ヨハネ福音書14:17)と言われます。フランシスコ会聖書研究所訳では、「世は、見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。」となっています。聖霊を受けるには、聖霊について知り、正しく理解し、絶えず求め続けることが必要なのです。

 イエス様は、言われます。「ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」(ルカ11:9-13) 「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」は、ギリシャ語では、「求め続けなさい」「探し続けなさい」「たたき続けなさい」となっています。求め続け、探し続け、たたき続けるならば、神様は、必ず、聖霊を与えて下さいます。

 イエス様の十字架の死と復活、昇天が実現し、神様は、聖霊をおおくり下さいました。聖霊なる神様は、教会の活動の力となり、クリスチャンが神の国を目指す助けになって下さるお方です。よって、聖霊を求め続けない人は、イエス様の救いの業を否定し、聖霊に敵対し、冒瀆していることになるのです。

 以下、聖霊に関するいくつかの御言葉をご紹介します。味わって下さい。聖霊を受けるにあたり、どれもたいへん重要な御言葉です。詳しくは、今後の『死ぬこと、生きること』で述べます。

聖霊を受けていない人は、キリストのものではなく、御国を受け継ぐことができない

「肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。」(ローマ8:5-9)

「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」(ローマ8:14)

「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」(エペソ1:13-14)

 上記の御言葉のように、聖霊を受けていない人は、クリスチャンではなく、神の子でもなく、神の国(天国)に入ることができないのです。永遠の命(天国)か、永遠の滅び(地獄)か。間は、あり得ないです。主の御年、2026年。全世界の人々は、自分の罪を認め、悔い改めて、歴史の主であられるイエス様を信じ、洗礼を受け、聖霊を受け、神様にイエス様に従うべきなのです。

聖霊は、私たちを、イエス様と同じかたちに姿を変えて下さる

「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリント二3:18)私たちのうちに本当に聖霊なる神様がおられるなら、私たちは、栄光から栄光へと、イエス様と同じかたちに、時間はかかりますが、変えられていくのです。

聖霊は、義と平和と喜びと希望

「なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。」(ローマ14:17)

「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」(ローマ15:13)

教会は、神の国を目指す最前線基地

 最前線基地などと言うと、ちょっと物騒な気がしますが、御言葉に「信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。」(テモテ一6:12)とありますから、これで良いと思います。では、どのようにして、信仰の戦いを立派に戦うのでしょうか。

 パウロは、ローマ人への手紙1:11-12の中で次のように言います。「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」 お互いに、聖霊の賜物を分け与えて、お互いの信仰によって励ましを受けることによって、信仰の戦いを戦うのです。使徒信条に「我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」とありますが、正にこのことです。

 神の国を目指す歩みは、戦い激しく厳しいものですが、常に聖霊なる神様が導いて下さる平安に満ちた旅路です。私の教会のイメージは次のようなものです。「私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え/頭に香油を注いでくださいます。/私の杯は あふれています。」(詩篇23:5) 「私の敵をよそに」は、フランシスコ会聖書研究所訳では、「敵の見ている前で」となっています。神様は、私の敵が見ている前で、食卓を準備して下さり、私の杯には、美味しいお酒がなみなみと注がれています。敵は、目の前にいますが、私を攻めることができません。イエス様の御体なる教会の中にいるからです。「教会はキリストのからだ」(エペソ1:23) 何と景気のよいことでしょう。

教会は、全世界に、福音を宣べ伝える

「それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」」(マルコ16:15)これは、私たちクリスチャンに対する、イエス様の大宣教命令です。福音を宣べ伝えながら、神様の栄光を求めながら、終わりを目指すのです。

「それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。」(コリント一15:24)

教会を『強盗の巣』にしてはいけない!

 教会は、上記のような場所であるべきです。しかし、中には、『強盗の巣』になっている教会があるようです。イエス様は、言われます。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」(マタイ21:13) 教会が『強盗の巣』となり、強盗が、聖霊のおはたらき、御言葉、祈りを奪います。強盗には、様々なものが考えられますが、その中の一つとして、パリサイ的な偽善があります。皆さんの教会は、大丈夫ですか。

聖書には、理解しにくいところがたくさんある

 聖書は、神様からのラブレターだから、誰にでも理解できる、と言う人がいます。しかし、それは違います。聖書には、理解しにくいところがたくさんあります。その理由は、主に三つあると思います。

■旧約聖書は、ヘブル語で、新約聖書は、ギリシャ語で書かれていますので、正しく翻訳することが難しいのです。
■聖書を正しく理解するには、聖書が書かれた時代背景を知らなければなりません。
■聖書は、聖霊なる神様が、人を用いて、書かれました。よって、聖霊なる神様の助けがなければ、到底、理解することはできません。イエス様の御言葉「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ福音書14:26)とある通りです。

聖書を様々な翻訳で読み比べる

 故に、私たちは、もっともっと、神様の御言葉に聞く必要があるのです。そこで、近況報告です。私には、少しでも神様の御言葉に近づきたい、理解したいという思いがあります。よって、今、私は、聖書全66巻を、種々の日本語訳聖書と種々の英語訳聖書を比較しながら、読み返しています。新約聖書は、原典のギリシャ語聖書も参照しています。

 ギリシャ語は、文法がとても複雑なのですが、そのぶん、イエス様の御言葉の微妙な部分まで、生き生きと伝わってくるのです。躍動感のある動画を見ているようです。楽しいです!新約聖書が書かれるべき言語として、神様が、ギリシャ語をお選びになった理由がわかるような気がします。ある牧師は、「ギリシャ語の原文で読めば読むほど、聖書を日本語で読んでいる時とは印象が違い、別の聖書を読んでいるという印象持ちます」と言われました。

私とご一緒に、聖書全巻の通読をしましょう

 それから、読者の皆さんへ、御言葉を聞き取ることは、極めて重要です。私とご一緒に、聖書全66巻を、もう一度じっくり通読しませんか。何度も通読しているよ、と言う方もおられると思います。お名前もお顔もわかりませんが、祈りによって、主にあって、つながっていますから。

まとめ:
私たちは、聖霊・救い・教会の時代を生きている|かつや心療内科クリニック(医師によるこころと療養のよろず相談)

■今回は、新年にあたり、聖霊、教会、聖書を読むことについて、お伝えしました。

■御言葉がお語りになるように、聖霊を受けていない人は、クリスチャンでもなければ、神の子でもありません。また、聖霊なる神様は、神の国を受け継ぐことの保証です。私たちは、聖霊を求め続けるべきなのです。

■教会は、伝道と神の国を目指す最前線基地です。よって、教会をパリサイ的偽善などの『強盗の巣』にしてはいけません。

■聖書には、理解しにくいところがたくさんあります。御言葉を曲解すると、滅びをまねきます。聖書を読む際に大切なことは、次の三つです。

★上記の御言葉にもありますように、聖霊なる神様に聞くこと
★聖書全66巻を何度も読むこと
★理解が難しい箇所について、正確に、正しく御言葉を聞き取っている人から教えを受けること

■私に聞いて下さっても良いです。ご一緒に聖書を読みましょう。クリニックですので、料金がかかってしまいますが、献金と思って頂けますとたいへん嬉しいです。

概要 概要

院長 吉田勝也
標榜科 がん心療内科
資格 元日本緩和医療学会
緩和医療認定医
厚生労働省 精神保健指定医
日本医師会認定 産業医
住所 神奈川県藤沢市南藤沢17-14
ユニバーサル南藤沢タワー403
申込用
メール
アドレス
gan-soudan@kzc.biglobe.ne.jp
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その体制を維持するために、すべて自費診療とさせて頂いています。健康保険は使えませんのでご留意ください。

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