死ぬこと、生きること(第2号)-緩和ケア病棟における患者さんの疎外感
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死ぬこと、生きること(第2号)-緩和ケア病棟における患者さんの疎外感2023.06.01
『死ぬこと、生きること(第1号)』では、緩和ケア病棟で、ご家族が患者さんに料理を作って食べさせてあげているという一場面を切り取って、『患者の気持ち、家族の気持ち』と題して、患者さんとご家族の気持ちのすれ違いについてお話しました。『第2号』では、緩和ケア病棟において、私と患者さん、ご家族との関りを通して見えてきたことを『緩和ケア病棟における患者さんの疎外感』と題して、がん相談コラムをお届けします。死に関する話が続きます。私が、皆さんのお話を聴いて、皆さんとご一緒に考えるという気持ちで書いてみたいと思います。
患者さんだけが蚊帳の外
緩和ケア病棟では、患者さんだけではなく、ご家族からも様々なお話を伺います。ご家族から、患者さんご本人がいないところで、患者さんの余命を聞かれることがあります。このとき、月の単位、週の単位とか日の単位です、といった表現でお伝えします。患者さんご本人から余命を聞かれることはほとんどないのですが、それでも稀にはあります。そのとき、具体的な数字をお教えするようなことはせず、十分な時間をかけて対話を重ねます。その対話は、時には、何日にもわたって続くことがあります。
ご家族が、患者さんの余命を知りたいのには理由があります。理由のひとつは、余命を知って、患者さんが亡くなった後のことを考えたいのです。ある奥様は、「あの人が亡くなったあと、生活費をどう工面するか、子どもの教育をどうするか、住む場所は、・・・このようなことはもう決めています」と私に話して下さいました。ここまで先のことを考えているご家族は少ないと思います。
しかし、ご家族と医療スタッフとの面談の場で、葬儀のことはしばしば話題になります。ご家族の方から葬儀会社を紹介してほしいと言われることもあります。病院からはご紹介できないのですが。一方、患者さんと葬儀について語り合うことは、患者さんの置かれた状況を考えると難しいことです。「葬儀の準備は整っています」と患者さんの方から話して下さることもありますが、こういうことは稀です。
患者さんが、痛みや不安に苦しんでいる時に、ご家族の中には、患者さんが亡くなった後の生活のことを考えている方もおられます。考えるだけではなく、誰かに相談していることもあります。ご家族のこのような行動が不謹慎だとか、そういうことではなく、これが現実なのです。遺されたご家族は、これからも生きていかなければなりませんので、悲しみに耐えながら、涙ながらに、先のことを考えているのです。むしろ、私が気になるのは、次のようなことです。患者さんは、自分が知らないところで、自分が亡くなった後のことが考えられ、話し合われている、具体的な内容まではわからないと思うのですが、このような雰囲気を察知するでしょう。このような状況の中に置かれた、患者さんの思いはどのようなものなのでしょうか。
上述しましたように、一般的には医師が、余命に関してお伝えする内容は、ご家族と患者さんとでは異なります。私は、葬儀に関して、ご家族とはお話をしますが、患者さんとはほとんど話すことができていません。やはり、私がたいへん気にしていることは、余命や葬儀といったとても大事なことを話す時に、患者さんご本人が、その輪に入っていないことです。患者さんだけが蚊帳の外。もちろん、患者さんに対する配慮というのもあるのですが。しかし、私は、本当は、患者さんともご家族とも同じように、余命や葬儀などの大切な話をしたいのですが、それは、患者さんにとって残酷なのではないか、という声が聞こえてきそうです。ハードルはたいへん高いと思います。
自分は死に、他の人々は生き残るという疎外感
文化人類学者の波平恵美子氏(お茶の水女子大学名誉教授)は、終末期の患者さんの心理的特徴を次のように述べています(文献1)。「自分の死期が極めて近いことを知った患者が抱くであろう精神的苦痛はさまざまな内容をもった複雑なものであろうが、その中で重要な要素は疎外感である。家族や知人や医療者やすべての人々と自分とを分けるものは、自分は死に、他の人々は生き残るという疎外感である。信仰が生活の中に定着している社会では、あるいはそうした時代の日本では、死は生の一部であり、死は完全に生の意味領域の中にあった。現代社会は、この疎外感を解消するような文化的装置を失ったままでいる。」余命や葬儀に関して話すとき、患者さんだけが蚊帳の外、というお話をしましたが、このような状況に置かれた患者さんの思いは、この「疎外感」のようなものなのかもしれません。
「自分は死に、他の人々は生き残るという疎外感」と聞いて、私が真っ先に思い浮かべることがあります。それは、主治医に積極的治療の終了を告げられ、緩和ケア病棟に入院した時の患者さんのお気持ちです。私は、このような状況に置かれた、たくさんの患者さんにお会いしました。多くの方々は、主治医に見捨てられたと思われています。緩和ケア病棟に入ると、死を待つだけの身となり、患者さんの心の中に、ご家族など(生き残る人々)からの疎外感が沸き上がっても不思議ではないと思います。
患者さんにとって、がん治療の主治医は特別
私は以前、患者さんの疎外感に対する緩和ケア病棟における工夫を提案したことがあります(文献2)。その一部をご紹介します。緩和ケア病棟に入院すると、がんの治療を担当していた主治医との関りが断ち切られる場合がほとんどです。『がん相談コラム2023.03.01号』では、がん治療にあたり、主治医とのよい関係を作ることが大事とお話しました。しかし、せっかくよい関係ができても、患者さんがたいへん辛い思いをしている時に、頼りにしていた医師に診てもらえなくなるというのは本当に辛く残念なことです。
そこで、私が提案したいことは、お忙しいのはよくわかっているのですが、がん治療を担当していた元主治医の先生が、緩和ケア病棟の患者さんを訪問して頂きたいです。そうすることにより、患者さんの見捨てられたという思いや疎外感を少しでも和らげることにつながると思います。稀なことですが、とても嬉しいことなのですが、元主治医の先生が、緩和ケア病棟の患者さんを訪ねて下さることがあります。患者さんは、満面の笑みをその先生に向けています。緩和ケアの私などには見せて下さらないような笑顔を。その笑顔を見て、私は、がん治療を担ってきた先生に対する患者さんのお気持ちは、如何ばかりかと思います。
大切な人と死について率直に話す
本号の冒頭では、余命や葬儀のことを話題にしましたが、私は、患者さんともご家族とも同じように、余命や葬儀などの大切な話をしたいと思っていることは上述した通りです。しかし、患者さんにとって、そのようなことを言葉にするのはたいへん難しいと思うのです。社会的にも文化的にも、死について、率直に話すことができるような状況が整えられることをこころから願います。
当院ホームページの『医師紹介』欄にも書かせて頂きましたが、アルフォンス・デーケン神父(故人、当時は上智大学教授)が主宰されていた『生と死を考える会』に、私は定期的に参加していました。会場は上智大学でした。懐かしく思い出します。そのデーケン神父の著書(文献3)には次のように書かれています。「死をタブー化して、意識から締め出そうとしたことは、死と表裏一体である生への意欲まで減退させる結果を引き起こしました。死のタブー化は、私たちの人生に対する自由な考え方を束縛します。死について率直に話すことができないと、真に人間的なコミュニケーションを深めることはできません。」
自分はどこから来たのか、どこに向かっているのだろうか。他人の評価が気になって仕方がない、人の言葉ですぐにぐらついてしまう、こんな自分にどのような生きる意味があるのだろうか。死を前にして、何を考え、何をするのか。がんの治療ができなくなった、余命はどのくらいか。葬儀をどこに頼んでどのように行うか。墓はどうするのか。死はすべての終りなのか、天国はあるのか、あるとしたら大切な人とまた会えるのか。自分の人生を振り返って、後悔の念や罪悪感に苛まれる、この気持ちが解決されないまま死ななければならないのか、もし、そうだとすると、こんなに辛いことはないと思います。・・・死ぬこととか、生きることとか、このような、非常に大切なことを家族などの大切な人と語り合うことができないというのは、私はたいへん寂しいことと思います。デーケン神父は、このようなことを語り合うことによって、お互いのコミュニケーションが深まる、と言われましたが、私はそれに次のことを付け加えたいと思います。ある日、誰かが死に直面したとき、普段からこのような語り合いを積み重ねることにより、お互いに繋がっていると思えるようになり、「自分は死に、他の人々は生き残るという疎外感」が和らぐかもしれないと思うのです。
あなたの話を聴かせてください
当院『かつや心療内科クリニック』には、このようなことを話しに来てほしいのです。ご家族や大切な人には話しづらいということがあるかもしれません。まずは、私に話して下さいませんか。話して何になる、と思われるかもしれません。しかし、「聴いてもらってよかった」と言って下さる患者さんは少なくないです。「話すことによって、考えが整理できた」、「自分には、こんな可能性があることがわかった」と言われる患者さんもおられます。患者さんではなくご家族の場合、例えば、こういうご家族がありました。このご家族は、患者さんとの折り合いが悪く、死を前にした患者さんとどのように関わったらよいか迷われていました。このご家族は「私たち家族のことをわかって下さってありがとうございます」と言って下さいました。
皆さんの御出でをお待ちしています。
文献
1)波平恵美子:日本人の死のかたち 伝統儀礼から靖国まで、朝日新聞社、2004年
2)吉田勝也:日本の緩和ケアと患者の疎外感、日本医事新報No.4775、日本医事新報社、2015年
3)アルフォンス・デーケン:死とどう向き合うか、NHK出版、1996年
院長 | 吉田勝也 |
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標榜科 | がん心療内科 |
資格 | 日本緩和医療学会 緩和医療認定医 厚生労働省 精神保健指定医 日本医師会認定 産業医 |
住所 | 神奈川県藤沢市南藤沢17-14 ユニバーサル南藤沢タワー403 |
申込用 メール アドレス |
gan-soudan@kzc.biglobe.ne.jp
電話番号は載せておりません 未掲載の理由はこちら |
連携医療機関 | 湘南藤沢徳洲会病院 藤沢市民病院 |
金曜日 | 13:00〜17:00(各50分〜4枠) |
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土曜日 | 10:00〜15:00(各50分〜4枠) |
金曜日と土曜日が祝日と重なる場合は休診
1回50分という十分な時間をお取りして、心理療法的枠組みの中で、じっくりと相談して頂ける体制を整えています。
その体制を維持するために、すべて自費診療とさせて頂いています。健康保険は使えませんのでご留意ください。